続・数学は理解するものではない:素因数分解と約数の数
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数学が理解するものではない、身につけるものだ、...というのは、何度も書いていることだ。
数学というのは、3000年前のギリシャで幾何学が発達し、それが今の中学の合同とか相似などになっている。
(ユークリッド幾何学)
高校の微分・積分も、ニュートン(1642年12月25日 - 1727年3月20日)やライプニツといった、ほんの250年前にできたものだ。
分数は古代文明から使われていたが、小数点がアラビア数字に使われ出したのも12世紀以降。
そんなに昔ではない。
そしてこれらはすべて、当時の天才によってなされたモノだったわけだ。
数学とはだから、2000年以上もの間、数学の天才によってなされた研究の成果なのだから、公立高校の普通の小中学生に理解できなくてもおかしくない。
いや、理解できる方がおかしい。
数学を「理解しよう」と考えるのは、だからたいてい徒労に終わる。
こういうのは残念ながら、数学マニアにしかできないことだ。
これは、ハッキリしておかないといけないことだ。
私も何となく分かりだしたのは、京大に合格する前の
YMCA予備校での講義からだったし、大学に入ったらはいったで、、数学の授業はまた分からなくなった。
だからそういうところであがいている人には、「数学は道具!」という割り切りが必要なのだ。
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※楽天ブックス広告リンク数学というのは、まず定義があって、そこからスタートする形でできている変なものだ。
小数というのはこう言うものだ、分数とはこう言うものだ、平方根というのはこう言うものだ、微分や行列というのは、こう言うものだ、という風に、いきなりまず紹介される。
そしてその次に、四則演算がどうなるか、調べられる。
足し算はどうなる?引き算はどうなる?
掛け算はどうなる?わり算はどうなる?
そのほかの特徴は?
線型か非線型か?
連続か、分散か?
こういう風に進んでいく。
その途中に、公理とか定理とか
公式というモノが発見されていく。
ココまで進んでも、なぜ小数が必要か、分数がなぜ必要か、そう言うことはいっさい触れられない。
だから、こういう数学の展開に慣れていないと、全く何をやっているのか、わからない。
架空の「バッタンギッタン・ゲーム」という
遊びをやっているようなもので、そのあとで、利用法というのが出てくるわけだ。
ロン・ハバートの「勉強の技術」では、勉強が分からなくなったときに、具体的なマス(質量)やモデルを作ればいい
という風に書いてあるが、数学の場合、その具体的なモノというのがない。
だからこういう、何をやっているのかよく分からない
作業についていけない子供が続出するわけだ。